第2回「声良鶏の謡」
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声良鶏の謡
 帰路、耳には厳かな声良鶏の謡がいつまでも残っていた。岩手へと続く高速道路は、奥羽の険しい山の中に吸い込まれるようにしてどこまでも伸びていた。山肌は新緑に包まれ、華やかな気配に満ちていたが、その懐には近付きがたい深遠さが漂っていた。

 声良鶏の存在を初めて教えてくれたのは岩手県玉山村在住で「日本家禽会」会長の種市啓介氏だった。氏はそのとき、声良鶏のある印象的なエピソードを語ってくれた。

 氏の書いた文章からこのエピソードを引用してみたい。

「日本家禽会の育ての親とも言える柵山正鶴先生(二大目理事長)が大正10年頃、岩手県二戸郡の浄法寺町から一戸町へと山越えしていたとき、ときならぬ 大雪に見舞われました。疲れがひどく、困り果てていた時、地から湧き出るような低音で声良の声が聞こえ、そこへやっとの思いでたどりつき助かったそうです。  そこは炭焼き小屋で、炭焼きをしながら尺八の音で鳴き方を指導するために飼っていたのたといいます」

 運転をしながらこの話を思い出し、視界の先に延々と続く山々を見つめた。そして、この奥羽の山々の懐にこそ、“声良鶏”という文化のルーツがあるのかもしれないと思った。
 
審査を終え、
満足そうに愛鶏を抱える参加者。
声良鶏は飼い主とのよいコンビがあって初めて実力を発揮できるという。


遠征用の木箱の中で休む声良鶏。
それぞれの人が使いやすいように
自作している。