遣唐使で運ばれ、美しさとともに「鶏合わせ」でもその実力をいかんなく発揮した小国鶏はたちまちスター鶏の道へと歩み始めた。
代表的な白藤の色彩を持ったもの以外にも、真っ白な羽毛を持った小国鶏も生まれ、そうした鶏は、神社などで神の使いとして丁重に扱われた。
また、優れた血統は、日本の土着鶏である地鶏たちにも大きな影響を与えた。容姿端麗、美声、頑強という小国鶏の特徴を活かそうと長い時間をかけて、地鶏との掛け合わせが行われたのである。その結果
として生まれたのが、土佐の尾長鶏や、声良鶏などの長鳴鶏をはじめとする日本鶏なのだ。
それだけに数ある日本鶏の中でも小国鶏は独特の存在と言ってよいだろう。言ってみればその美しい身体の中に、この国で歩んできた鶏たちの歴史と息づかいが秘められているのである。
小国鶏のこうした価値は、ご当地の関西では早くから認められていた。実際にいまだに神社の行事等で小国鶏が登場することも少なくないと聞く。小国鶏を専門に飼育・保存する愛鶏家グループも存在している。
ところが、こうした小国鶏の熱もここ北東北に来ると途端に冷めてしまう部分がある。今でこそ、北東北の愛鶏家で「小国鶏」の名を知らない者はいないが、かつてはこの地で小国鶏の姿を見ることはできなかった。誰も飼育していなかったからである。
その方のひとりが現在、日本家禽会の理事を務める種市啓介氏である。
氏と小国鶏を結ぶ物語を聞くため、石川啄木の故郷・玉山村に向かった。 |
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種市先生が暮らす
岩手県玉山村好摩から見た岩手山。
かつて、石川啄木が見た風景でもある。
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