第3回「小国鶏とともに歩む人生」
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小国鶏とともに
 
 小国鶏との幸福な出会いは、種市氏をさらに鶏の世界の深層へと誘うことになった。もちろん、鶏の世界は、氏の探求心を裏切りはしなかった。血統の不思議さ、日本人の起源を探る鍵をにぎる鶏の存在など、鶏は常に興味深い世界をかいま見せてくれた。そして、そこで生まれた疑問や発見を自分なりに考え、実践していくことが何よりも楽しみであり、充実した時間だった。

 また、鶏の興味深い世界に惹かれる一方で種市氏が大切にしてきたのが鶏文化の保存である。 「日本には、“鶏を趣味で飼う”という文化がそれこそ奈良・平安時代からありました。この文化があったからこそ、鶏はむやみに雑種化してしまうことなく、それぞれの個性を守ることができたのだと思います。もし、日本鶏を飼う文化がなくなっていれば、今の鶏たちはどこにもいなかったでしょう。現に、小国鶏のふるさとである中国にはもう小国鶏の姿はありません。文化として鶏を飼うことがないため雑種化が進み、品種そのものが消えてしまったのです。だからこそ、私は日本鶏を飼うことは文化を守ることだといつも言うのです」。

 文化保存への熱い思い。日本鶏の系譜を生み出すことになった小国鶏を愛し続け、今年で創立90周年を迎える日本家禽会の理事を20年間も勤めあげてきた原動力はまさにこの情熱なのである。

 氏が鶏の飼育をはじめて、すでに40年以上もの年月が流れた。 氏が鶏を飼い始めた頃と比べると、愛鶏家たちはこの40年でかなり減少しているという。このまま、鶏を飼う人が少なくなれば、日本鶏の伝統が絶えてしまうことにもなりかねないと警鐘を慣らす一方で、最近はまた違った視点から鶏との触れあいを見つめている。 「最近は、文化財としての保存だけではなく、自然や生命として鶏を見るようになりました。鶏を飼育し、鶏に触れることで自然や生命の大切さを理解する。この部分にこそ、鶏を飼う意味があるのではと考えています」

 インタビュー中、ふとしたことから教師としての仕事に話が及び、「家禽会の事務局仕事があるから、何十年働いても出世も何もできなかった」と種市氏は微笑んだ。そこには後悔の念はひとつも感じられなかった。

「鶏に触れることで感じる自然や生命の大切さ」。氏の心の中には、こうした生命への深い共感が、出世などとは比べようのない大きさでに静かに横たわっているのだろう。だからこそ、今、自らの人生に微笑むことができるのだろう。

「鶏を通じて、たくさんの良き友に恵まれた。今でも電話はいつもかかってくるし、家に遊びに来る。そんな友達が全国あちこちにいる。これ以上の幸せはないかもしれません」と、大切にしている友を褒め称え、インタビューが終わった。

 鶏と出会い、小国鶏とともに歩んできた氏の人生。これから先も鶏たちとともに歩いていく。

※参考文献 『日本鶏の歴史』小穴彪・著
 
友人の愛鶏家に 優秀な鶏を育てる
飼育方法を指導する種市氏。

種市氏は多くの愛鶏家に慕われている。