古事記に綴られる「天の岩戸」神話。スサノオノミコトの傍若無人な振る舞いに腹をたてたアマテラスオオミカミが、岩戸を閉ざし世界は暗闇に包まれる。そこで再びこの世に光を呼び戻すために、妖艶なるアマノウズメノミコトが岩戸の前で舞い踊り、さらに雄鶏たちが長々と鳴き続ける。結局、アマテラスオオミカミは踊りと雄鶏の鳴き声に誘い出され、岩戸を開き、世界は再び光に満ちる。
神話的発想で考えると、鶏はこの日以来、その伸びやかな歌声で毎朝、夜の闇を彼方に追いやり、光を呼び戻し続けてきたわけだ。「鶏」という存在が長く神聖視されてきた理由のひとつもここにある。
また一方で、何よりも身近な存在としての鶏もある。鶏は家畜化されることで、遥かな時を人と供に過ごしてきた。縄文あるいはそれ以前か…。いずれにせよ、有史以前の時代より鶏は人に卵や貴重な肉を与えることで、大切に護られてきた。
こうした歴史を伝える鶏が日本にはまだ生き残っている。それが「地鶏」である。
ただし現在、「地鶏」といっても言葉には3つの意味が含まれている。
そのひとつは、スーパーマーケットで見つける「○○地鶏」。これは「地鶏」という言葉の響きから来る“美味しさのイメージ”を商品の盛り込むために付けられている名前で、本来的な「地鶏」の意味ではない。もちろん、改良段階で、「地鶏」を掛け合わせるなどの工夫は盛んに行われているようだが、これもあくまで商品名である。
2つ目は、古老たちが口にする「地鶏」で、これは明治の頃などには身近に飼われている在来種をまとめてそう呼んだもので、この「地鶏」には、本来的には地鶏の範疇に入らないものも含まれている。
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3つ目は、天然記念物にも指定されている「地鶏」で、これは江戸時代以降に行われた外国産鶏との交配や品種改良の影響を受けず、有史以前から飼われてきた最古の日本鶏の特徴を今に伝えるものとされている。つまり、江戸時代以前に行われた他品種(遣唐使などで大陸産の鶏が持ち込まれており、そういった鶏と日本古来の地鶏が交配したことは十分に考えられている)との交配は認めるが、日本独自で受け継がれてきた野鶏の原型を維持しているものが「地鶏」と呼べる鶏なのである。
ちなみに、現在、最もポピュラーな地鶏は「岐阜地鶏」「三重地鶏」「土佐地鶏」などで、外見的特徴は赤い羽を持ったいわゆる“赤笹”が一般的となっている。
「地鶏」という定義が少々専門的知識を必要とするため前置きが長くなってしまったが、いよいよ岩手地鶏に話題を変えよう。
今回の発端は、ある人物の口からふと語られた岩手地鶏の興味深いエピソードだった。
「全く絶滅したと考えられていたんですから、その鶏が北上山地の山奥で発見されたときはもう大騒ぎでした。さすが日本のチベット岩手県、まだまだ眠っている文化があったんですね」とその方は何げなく語ったのだが、聞いたこちらとしては興味津々である。
どのような鶏なのか? 北上山地のどこで発見されたのか? 一体、どのような方が飼われていたのか? 次から次へと疑問が浮かんでくる。この時点で、北東北の鶏をめぐる旅がすでに始まっていたのだ。
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