かつては「幻」とされてきた岩手地鶏。昭和51年に、この鶏が発見されるまで、多くの日本鶏研究者は、絶滅したものと考えていたという。だが、砂川さんにとって、岩手地鶏はあくまで身近な存在だった。その名も今では砂川さんから「南部白笹鶏」と名付けられたが、かつては、ただ“地鶏”と呼ばれていた。
しかも、特に砂川さんの家でだけ飼っていたのではなく、今年で53歳を迎える砂川さんが幼少の頃には、近所のどこの家でも10羽、20羽とこの地鶏を飼っていたという。もちろん、つぶして食べることもあったが、鶏の一番の役目は、卵を生むこと。言うまでもなく、卵は大変な貴重品だったのだ。
こうした状況が変わり始めたのが昭和20年頃のこと。品種改良され、卵をよく生む鶏が山形村にも伝えられたのだ。南部白笹鶏が卵を生むのは2〜3日に一回。一方、品種改良された鶏は、毎日産卵する。一年中365日続けて卵を生むことで、「365鶏」と呼ばれたこの鶏は、たちまち農家の噂となり、多くの人が競うようにして飼育をはじめたという。そこで用無しとなったの南部白笹鶏である。先祖代々大切に飼われてきた南部白笹鶏は、365鶏の出現によって、急速に衰退の道をたどり始めたのだ。
だが、砂川家では365鶏に興味を示さず、南部白笹鶏を飼い続けた。そこには、南部白笹鶏をこよなく愛する砂川さんの母の姿があった。
元々、動物好きなことはわかってはいたが、砂川さんのお母さんの地鶏に対する可愛がり方は、息子から見てもあきれるほどだったという。畑の草刈り、収穫など、砂川さんのお母さんはいつも背中のカゴに親鶏たちを入れ、小さなヒヨコは親鶏につぶされないようにと着物の胸元に入れて目的の畑に向かった。そして草を刈ると出てくる虫を鶏たちに与えるなど、まさに我が子のように鶏たちを可愛がったという。
お母さんにとって、南部白笹鶏の魅力とは、その穏やかで人なつっこい性格と、何よりも白笹、赤笹、銀笹という3種類の美しい羽色だった。卵を多く生まないのではなく、それがこの鶏の特徴だと、お母さんはわかっていたのだ。 |
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優雅な美しさを持った南部白笹鶏(砂川利男氏撮影)。
この姿からは想像もできないほど、野生の血が濃く、相当な飛翔力を持っている。
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母に代わり、南部白笹鶏を守り続ける砂川利男さん。
「山形村の財産として、南部白笹鶏を役立てたい」と語る。 |
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